3 7月

悔い改めともなう「放蕩息子」の「生き方」

〈個〉が精神界で活かされることになったのは、意味ある「生き方」の一つであることを悟らせてくれた人たちの存在があったからだ。それが、私が前にする人たちである。その「生き方」には、その他に、心ある多くの人たちの後方支援があったからこそ、〈個〉の「放蕩息子」としての人生が〈今〉にある。その私が、精神界における「個々〉の回復のために取り組んできたと確信している。その「放蕩息子」は、いずれ、《愛の衣》に包まれて、自然の故郷にかえされる時が来るが、それまでは、悔い改めともなう「放蕩息子」として、精神界における日々の取り組みが途切れることなく続けるだろう。